2011–05–18

業務日誌の画像

岩国から玖珂の間、ルートは 2つあります。
昨年は、廿口峠を越える国道 2号を選択して、膝痛で「この世の地獄」を体験しました。

そこで、今年は「トラック街道」である欽明路道路を選択しました。途中にあるトンネルが危険であるのは承知の上でしたが、登坂距離と走行距離の短さが魅力的。
2009年も欽明路道路を走りましたが、その時に比べて明らかにトラックの量が少ないのです。

写真は、欽明路道路の入口にあった自動販売機コーナー。長距離運転手さんの過酷な仕事を垣間見ることができる場所です。
時刻は22時を過ぎ、体力的にも精神的にもきつくなる正念場の始まりです。

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2つの峠を越え、約 10キロを走って、欽明路道路は、JR玖珂駅の手前で国道 2号と合流します。
ちょうどその地点にあるコンビニで休憩しました。
昨年は、あまりの膝の痛みで長時間へたり込んでしまったお店です。

広島で夕食を摂ってから何も食べていませんでした。ところが、4時間も経っているのに全く食欲がありません。それどころか、胃がもたれて、少し気分も悪い状態。
せっかく休憩させてもらったコンビニですが、何も買い物をせず、再び暗い夜道の中へ走り出しました。

それからしばらく走った次の町、JR周防高森駅の手前からルートを変更しました。
2009、2010年は、そのまま国道 2号を走ったのですが、JR周防高森駅を過ぎたあたりから峠があるのです。

そこで、今年はそれを避けるため島田川に沿って緩やかに下る旧山陽道(県道144号)を南下し、その途中から県道63号で再び国道 2号に戻るというルートを選択しました。
写真は、その旧山陽道にルートを変更したところです。街灯がずっと先まで続いていますが、夜の町に誰もいません。

右手の建物の合間から、並行してある国道沿いの店の明かりが見えます。
やがて旧山陽道が島田川と並んだところで、体の異変に気が付きました。
ハンガーノック(ガス欠)です。

「これはまずい!」と焦りました。

直ぐに進路を変更して、国道 2号に出ます。少し前に建物の合間から見えた明かりの中にコンビニがあったので、そこまで戻ることにしました。

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ハンガーノックとは、体のエネルギーが枯渇した状態です。
4時間以上も補給を摂らなかったのは失敗でした。
しかし、食欲がありません。これがロングライドの難しいところで、疲れた胃腸は食事を求めず、しかし、食べないことには体は動きません。
空腹感のないハンガーノックは、ロングライドならでは?ということかもしれません。

国道に出て、しばらく戻ったところのコンビニで幕の内弁当を購入しました。ゼリーも考えましたが、この先の長い行程を考えれば、しっかりした食事を摂る必要がありました。
しかし、胃がもたれ、空腹感がない状態で、はたして食べられるのだろうかと不安でしたが、予想に反して食べ物がのどを通ります。
やはり、体は食べ物を欲していたのです。
本当に不思議な体験でした。
この時、ロングライドに必要なものは、ひたすら丈夫な胃腸だと痛感したのです。

ハンガーノック寸前で補給を摂ることができ、コンビニを出発したのは 23時37分。
再び国道 2号を離れ、島田川とJR岩徳線に沿った県道144号に戻ります。川に沿った谷間を下るその県道を走る車はほとんどなく、国道のような照明もありません。
真っ暗やみの中、ひたすらペダルを回します。
川に沿ったゆるやかな下り道なので、それなりの速度を維持して走ることが出来ましたが、それまで走ってきたトラック街道と違って空気が冷たく感じます。
5月中旬のこの時期、内陸部の夜はかなり気温が下がるようです。
ウエアーの装備は、夏用アンダーの上にUVカットのロングスリーブジャージを着ていました。袖の下にはアームウォーマーを付けて、ジャージの上には、ウィンドベストで風を防ぎました。
下半身は、パールイズミ シームレスパンツとニーウォーマーという装備。
しかし、これから明方にかけての時間帯、さらに気温が下がって辛い思いをすることなど、この時点では知る由もありませんでした。

県道144号を約10キロ走ったところの交差点を右折、県道63号に入ります。そこから少し坂道を上って、JR大河内駅近くの国道 2号に合流しました。そこは、排ガス漂う生ぬるい空気の中でした。

国道 2号のゆるやかな上りと下りを進み、最後の上り坂を終えたところで、眼下に広がる徳山の街の夜景が見えました。
下関までの道のりは、この先まだまだ続くのに、その夜景を坂の上から見たとたん、「ついにここまでやって来た!」と感激してしまいました。
なぜなら、その街の明かりは2009年にリタイヤした新南陽の地。つまり、 下関を目指したロングライドは、私にとってその地こそ真のスタート地点のようなものだったのです。

ユピテルのGPSマップの明かりが暗い夜道の中で、これから進むルートをしっかり表示して、徳山へと私を導いてくれています。
画面上を見ると、時刻は 0時28分。
気が付けば、いつの間にやら日付が変わっていました。

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岩国の欽明路道路から始まった内陸部のアップダウンが繰り返すルートは、最後のゆるやかな上り坂の後、徳山の夜景の中へ滑り込むように下っていきました。
市街地に入って、走行ルートはバイパスとなる国道 2号から県道347号へ変わり、旧山陽道であるその少し荒れた舗装路を西へ進みます。
内陸部の国道 2号は、トラックの排ガスのためか山間部の県道に比べて空気が生ぬるく感じましたが、市街地に入ると海が近いためか、さらに暖かく感じます。
夜でも、場所によって寒暖の差が大きいことに驚きました。
やがて、新幹線の高架をくぐり、街の中心部に向かってそれに沿って走ると、JR徳山駅の前に到着。
時刻は、0時47分。
駅前ロータリー脇に陣取った屋台のラーメン屋は、数人の客で賑わっていました。

2009年のちょうど同じ時間に、私はここから妻に電話をかけました。
「膝が痛くて、もう走られへん……」
「もう十分走ったんだから、止まってもいいよ」
そう言う妻の顔が見たくなって、その時リタイヤすることを決めたのです。
徳山駅では一晩ゆっくり過ごす場所がないため、フラフラな状態で次の新南陽駅まで移動……

あの時のみじめな気持ちを思い出しながら、懐かしい新南陽駅へ向けて、ふたたび真夜中の街を走り出しました。

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最終電車がホームを去ってずいぶん時間の経った新南陽駅に到着した時、ちょうど駅前の居酒屋は営業を終えたところでした。
2年前、疲れ切った体を待合室のベンチに横たえて一晩過ごした駅舎は、何も変わっていません。
懐かしい場所だったので、ベンチに座って休憩することに。駅舎は、自転車ツーリングの休憩に都合のよい場所かもしれません。
ここ新南陽駅は、改札口の外にトイレがあるため、そこで汚れた顔や手を洗います。
照明の燈った明るい待合室は、暗い夜道を走ってきた者にとって気持ちが和む場所です。

2009年のロングライドは、ここで終了しました。

あの時は、三原から膝が痛み始め、それを 8時間以上も我慢した末に、ペダルを回すことが出来なくなったのです。
まだ走る気力があっただけに、とても悔しい思いをしました。
2010年のロングライドは、ここ新南陽駅より20キロ手前の高水駅で、やはり膝痛のためリタイヤ。
その時は、全く悔しさはなく、「自分の膝では400キロの世界は到底無理」という諦めた気持ちになっていました。

そして 3度目の挑戦となる今年、膝の痛みは全く無く、気力、体力とも十分に新南陽駅までやって来ることが出来たのです。

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場所は、新南陽駅前の交差点。
この 2年間、これより先をどれほど夢見たことか。
リタイヤするなら、たとえ 1メートルでもここより西に進みたい…と何度思ったことか。
兵庫県姫路市の自宅を発ってから20時間かかって、本当のスタート地点に立ったという感がありました。
疲れていましたが、この先の未走ルートを走れる喜びが勝って気分は高まります。

そして、深夜 1時33分、夢見てきたルートへ走り出しました。
めざす下関まで、残り100キロ!

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新南陽駅を出発して、静まり返った真夜中の街を西に進みます。

JR山陽本線に沿った県道347号は、街のはずれで国道 2号と合流。それまでの静寂から一変して、疾走するトラックを横に神経をすり減らしながら路側帯を走ることになりました。
やがて国道 2号は、徳山、新南陽のある周南市と、その西隣の防府市の境にある椿峠に差し掛かります。
標高90メートル少しの椿峠へは、予想に反して労することなく上ることができ、そのまま峠の夜道を一気に下りました。

防府市に入った最初の町は、富海です。
町に面した瀬戸内海のさざ波に、月夜の光が輝いて、その光景はなんとも幻想的。日没間もない安芸の宮島で見た赤いおぼろ月は、水平線高くに場所を移し、夜が更けた富海の町の上で白く輝いていました。

富海より国道 2号は、防府バイパスとなります。
走行中、ふとGPSマップを見ると、ルートから現在地が外れていることに気付いて、慌ててUターン。最小限のロスで済みました。
真夜中のロングライドでのコースミスは、心身ともに厳しいものがあります。
ルートを県道58号に変えて、防府市街地に入ったのは、それから間もなくしてからのこと。
バイパスから離れて、ひっそり静まり返った夜の街を走っていると、それまで張り詰めていた緊張の糸が緩むようでした。

やがて、市街地の西に位置する交差点に差し掛かります。右を行けば萩、山口へ。
そして直進すれば、めざす下関。

時刻は、午前 2時31分。
なおも休むことなく夜間走行を続けます。

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防府の市街地を離れ、県道 187号は佐波川を渡り、そこで国道 2号と再び合流しました。
そこで、国道を走るトラックが少ないことに気付きました。やがて、道端に止まっているトラックが目に留まります。仮眠をとっているのかもしれません。

トラックの少ない国道 2号は静かなものです。ところが、排ガスのない深夜の空気は、内陸に進むにつれ予想以上に冷たくなり、やがて汗で濡れた体は凍えてきました。
寒さでうつろになり場所は定かではありませんが、道端に設置された電光表示の温度計は 8度になっていました。
昼間に見た温度計は 28度を表示していたので、その差 20度とは、ウエアー装備の想定範囲を超えていました。
風が入らないように襟の上までファスナーを上げたウィンドベストは、濡れた汗が首元を冷やします。
体温が下がらないように、ペースを上げるためペダルを回す脚に力を込めました。
幸いにして、21時間以上も運動を続けている身体は、私のその気力に応えてくれ、きつい状況でしたが、ますます闘志が湧いてきたのです。

時刻が午前 3時を過ぎた頃、国道 2号は山陽自動車道から続く自動車専用道路となり、ルートを県道335号に変えて小郡の街に入りました。
小郡の東を流れる椹野川を渡ると、寝静まった街の中にコンビニを見つけました。
休憩と補給のために、迷うことなく停車します。
自転車から降りた私の体からは、低い気温の中で汗が水蒸気となって、もうもうと白く立ち上っていたのです。

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小郡の街で立ち寄ったコンビニでは、ロードバイクを所有されているという店のご主人と話す機会がありました。
以前、岩国からの欽明路道路は有料だったこと、ここ小郡から下関まで、アップダウンが連続するルートであることなど、いろいろ教えていただきました。

下関まで60キロあまりを残して、ここで補給が必要なことは分かっていました。ところが、最後の補給からすでに 3時間半ほど経っていましたが、やはり食欲がありません。
甘いものは無理そうだったので、この度は親子丼をいただくことにしました。
店のご主人が用意して下さった椅子のおかげで、ゆっくりと最後の休憩、補給をとることが出来たのです。
「深夜でも営業されているコンビニのおかげでロングライドが楽しめます。」と店のご主人にお礼を言って、午前 3時48分、小郡の街を出発しました。

冷たい空気の中を走り始めると、あまりの寒さに体の震えが止まりません。アゴも震えてカタカタと歯が鳴ります。
それでも最初の峠を上り始める頃には寒さを忘れ、気が付けば東の空が白み始めていました。
やがて山の輪郭がはっきり見えるようになり、長かった夜が明けようとしています。

再び国道には、疾走するトラックが多く見られるようになりました。

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