2011–05–18

業務日誌の画像

小郡から下関までの間、連続した 4つの小さい峠があります。ロングライドの計画を立てた時から、この区間が最も難所になるであろうと予想していました。
いずれの峠も勾配はゆるく、標高も低いため、通常なら苦もなく上れるレベルです。しかし、400キロ走った後では話は別。きっと疲労しきった体で脚は回らず、最後の正念場になるであろうと、出発前は覚悟していました。

寒かったこともありますが、全く眠気はありませんでした。
前日は早く寝て十分な睡眠をとったのが良かったのかもしれません。
自宅を発ってから24時間近く自転車に乗っているにもかかわらず、事前の予想に反して、ペダルを回す脚には十分な余力が残っていました。

2つ目の峠を越えて、東の空がピンク色に染まり始めた頃、ふとペダルを回す脚を止めて道端に停車しました。
「頑張ったなぁ……」
3つのヘッドライトが光るロードバイクを見ていると、なんだか愛おしく感じられました。

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小郡を発って、最初から数えて 3つ目の峠を下ると山陽小野田市に入ります。
1つ目と 3つ目の峠は、山口市、宇部市、山陽小野田市の境になっているようです。
3つ目の峠の手前から、国道 2号は下関へ向けて厚狭埴生バイパスとなり、一見すると自転車も通行できそうな雰囲気でした。
しかし、山を削って谷を埋めて造られたバイパスを通過するより、トラックが少なく走りやすそうな県道225号を選択しました。
峠を下ると直ぐに厚狭に入りました。新幹線の停車駅があるとは思えないこじんまりした町です。
国道316号との交差点を過ぎ、厚狭川の手前にある歩道橋に差し掛かった時、そこに大きな標識が設置されていました。その大きく見えた標識を前に思わず深呼吸。

下関 32km

この先にある談合峠を越えると、その向こうには下関が待っています。

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早朝の厚狭の街を西に走り抜け、県道225号は談合峠に向けて徐々に上りはじめました。
これが最後の峠だと思うと、ペダルを回す脚に一層力が入ります。
不思議なことに疲労感はなく、いくらでもペダルを回せるような感覚でした。
「一体、どうなっているのだろう?」と自分で自分の脚を見つめます。いつまででも、どこまででも、ペダルを回し続けられるように思えたのです。

やがて県道225号は厚狭埴生バイパスと合流し、厚狭の駅前から 5キロ少し走ったところの談合峠の交差点(写真)にやってきました。
これで上り坂は終わり。
後は、下関まで下りと平坦路のみ。
サドルに座るお尻が痛いだけで、体はまだまだ動きそうです。
この時、ようやく下関まで行ける確信が持てました。

22年前、その時も私はランドナーで下関を目指していました。キャンプをしながら数日かけての厳冬ツーリングでした。
当時、厚狭埴生バイパスは工事が着手されたばかりの頃で、談合峠交差点を左折する現在の市道が 22年前に私が走った、かつての国道 2号です。

そのままバイパスを直進すれば下関まで手っ取り早く行けそうでしたが、私は迷うことなく交差点を左折、旧道へと進みました。
22年前、下関の標識を見て感激した場所に、再び立ってみたかったのです。

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ついに下関の境までやってきました!

当時の面影を偲ばせるものは見当たりませんでしたが、路側帯の白線が当時と同じカーブを描いて、おぼろな姿となって現在の歩道の上に残っていました。

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時刻は、午前 5時39分。
下関到達を祝ってくれるように、折しも朝日がその姿を現しました。

思い出に浸った後、気を新たに下関の市街地に向けて出発しました。

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下関市へ入って国道 2号は小月バイパスになるため、県道33号を通って市街地を目指します。
自転車部品メーカー、シマノ社の工場が近いためか、SHIMANOのロゴが描かれたトラックを数台見かけました。
市街地が近付くにつれて、沿道には多くの建物が見られるようになり、通勤車両で道路は混み始めました。
夜を徹して走ったにもかかわらず、最終目的を目の前にしてペダルを回す脚にはますます力が入ります。

広島の街で前方に沈む夕日を見て、11時間自転車に乗った後、下関で再び後方から日が昇る……、そんな時の流れと移動の距離との関係が、なんとも表現しがたい不思議な気持ちにさせるのです。

朝日が私の背中を押すがごとく、24時間を越えたロングライドは尚も快走を続けます。

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朝日に輝く関門海峡大橋。
その向こうに見えるは、九州の地。
長かった旅の終焉にふさわしい時間と風景の演出に感動しました。

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最終目的地はJR下関駅と決めていました。
また、もし下関まで走れたら関門トンネル人道を通って九州の地に入りたいとも考えていました。

下関駅まで残すところ 3キロ少し……。
まだまだ走る余力はありました。
だから、迷ったのです。

下関を目指して、これまで 2度の失敗。
ここまで来て、下関の街を見ずして九州へは行けませんでした。

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下関駅は、市街地の中に埋もれるようにして高架の下にありました。

時刻は、6時48分。
兵庫県姫路市の自宅から450.9キロの道のりを25時間18分かかって、ようやく目的地のJR下関駅に到着しました。
もと来た道を関門トンネル人道の入口まで戻って、九州に入ろうかとも考えましたが、下関駅に着いて妻に無事の電話をすると、とたんに張りつめた糸が切れたように力が抜けて、気力もなくなりました。

朝の通勤で人々が行き交う下関駅。私にとってそれは……

自転車に乗って遠くまでやってきた時、
ハンドルの上から見える風景は、
たとえそれが普通であっても、
サイクリストにとってそれは、
これまで走ってきた道のりの
褒美のようなものかもしれません。

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