銀の馬車道 / 2022–03–30

銀の馬車道銀の馬車道

Googleマップで走行ルートをご覧いただけます

かつて「佐渡の金、生野の銀」と言われたという生野銀山。
その採掘や製錬に必要な物資と産出された銀を輸送するルートとして、明治 9年に築造された馬車道が生野鉱山寮馬車道、通称「銀の馬車道」です。

今回のサイクリングでは、銀の馬車道ネットワーク協議会より発行されているパンフレットをルートの参考にして、生野と姫路を結ぶ全長約49キロの銀の馬車道を出来るだけ正確にたどってみました。

日本初の高速産業道路として整備された銀の馬車道は、現在でも多くの区間が主要幹線道路として姿を変えているため、歩道のない国道など危険な箇所があり、サイクリングには適していないルートとも言えます。
しかし、過度に観光化されていない沿道の歴史に触れることができるスポットを、いつでも立ち止まれる自転車のスピードで巡るのも、サイクリングならではの楽しみ。

そのような但馬と播磨を南北に貫く近代化産業遺産の道を一気に走り抜けてみました。

銀の馬車道

明治28年というから、銀の馬車道の開通から20年も経たないうちに開通したのが播但鉄道。
それ以来、物資の輸送手段は次第に馬車から鉄道に移行され、築造から44年経った大正 9年に銀の馬車道は流通の大動脈としての役割を終えることになりました。
といっても、今でも現役の主要幹線道路として使用されている区間は多いのですが。

今回のサイクリングでは、その播但鉄道であるJR播但線の列車に輪行乗車して、起点となる生野を目指しました。

銀の馬車道

日常生活では鉄道と縁遠い私にとって、列車に乗るだけでワクワクしてしまいます。
ましてや、前回はいつ利用したのか記憶のない播但線だから、車窓の向こうを流れる風景はよく知った場所でも新鮮に見えました。(特に出発して間もなく見えた姫路城の姿)

銀の馬車道

途中、寺前駅で電車から機動車に乗り換えがあり、90分近くかかって生野駅に到着。
列車から降りたのは私一人だけでした。
大きな規模の駅舎から、かつて鉱山で栄えた町だったことが分かります。

銀の馬車道

銀の馬車道のスタート地点を目指して町の中心部を走っている途中、一里塚跡が目に留まりました。
塚が築かれたのは1640年で、かつては石垣をめぐらせた塚に松が植えられていたそうです。

銀の馬車道

歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気の街並み。
左は、生野書院

銀の馬車道

市川の右岸(写真左)に見えるのが、大正時代に新設されたという石積みのアーチやレールの跡が残るトロッコ軌道跡です。

銀の馬車道

国登録の文化財である井筒屋(写真左)は、江戸時代からの建物を活用したまちづくりの拠点と休憩所を兼ね備えた施設。
写真右は、カフェとギャラリーのある口銀谷銀山町ミュージアムセンターです。

町のあちこちに見どころがあり、じっくり見学したい気持ちを抑えながら、スタート地点へ急ぎます。

銀の馬車道

スタート地点が見えてきました。
写真の三菱マテリアル生野事業所がかつて製錬所があった生野鉱山本部で、ここから49キロ離れた姫路の飾磨津(姫路港)まで馬車道が延びていました。
銀の馬車道は、鉱石を産出していた坑道からスタートするのが一般的なイメージで、私もそう思っていました。
しかし実際は、銀山から製錬所まで約 2キロの区間に馬車道はなく、トロッコ道(人力?)で鉱石を運んでいたそうです。
「銀の馬車道は50キロ以上あるのでは?」と言われますが、それは史跡生野銀山からスタートした場合だと思います。

せっかくだから観光坑道のある史跡生野銀山まで行こうかな…と考えましたが、先を急ぐため諦めました。

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