2022–03–30

銀の馬車道

旧神崎町の中心部、中村、粟賀、さらに南下して福本地区までやってくると、左に石灯篭が目に入りました。
廃藩置県までの藩政時代、この地区には福本藩の陣屋があり、政治の中心地だったそうです。
せっかくなので、ここを左折して、神崎高校近くにある旧福本藩陣屋跡へ行ってみることにしました。

銀の馬車道

福本藩池田家陣屋跡にやってきました。
現在の大歳神社全体が藩邸跡で、月見燈篭のある庭園が当時の形のまま現存しているそうです。

銀の馬車道

馬車道は、福本地区を過ぎると国道と合流しました。
交通量の多い国道をヨロヨロ走っていると、右手に流れていた越知川は生野で別れた市川に合流して、やがて播但有料道路の市川北ランプが行く手に現れました。
そのまま国道の左側を走れば、有料道路へのアクセス道に阻まれて、横断できるのだろうか…と不安になりましたが、現場に着いてみると地下道で横断することができました。

銀の馬車道

市川北ランプを過ぎると、馬車道は国道から分岐して屋形地区へ入ります。

銀の馬車道

市川町屋形地区は、かつて市川舟運の起終点として、街道の宿場町として、旅館や茶屋が軒を連ねて栄えていたそうです。
銀の馬車道の築造計画では、この屋形地区を迂回する予定でしたが、そうなれば集落が寂れると村人の陳情によってルートが変更されたそうです。
その際、沿道の家々は道路拡張に協力したそうですが、家屋と道路が近い場所を見ると、馬車道にまつわる屋形の陳情話から想像が膨らんでしまいます。

銀の馬車道

馬車道は、屋形地区を抜けると再び国道と合流しました。
ここから約12キロ先の福崎町の辻川までは、交通量の多い国道を走ることになります。
正直に言えば、サイクリングとして楽しめる区間ではありません。といっても、大阪・阪神間のサイクリング環境と比較すれば贅沢な話だと思うのですが。

銀の馬車道

播但連絡道路と絡み合うように国道を南下します。

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