2022–03–30

業務日誌の画像

精神的にきつかった国道を走り終えて、ようやく福崎町に入りました。
馬車道は、辻川北の交差点で国道から直角に左折します。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

上写真は、青丸の付近です。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

きれいに整備された石畳の道を進んでいくと、やがて左手に三木家住宅が現れました。
日本民俗学の父といわれる柳田國男は、幼少の頃この三木家に預けられ、そこにあった沢山の本を読んだことが後年の民俗学研究の礎になったということです。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

旧辻川郵便局、昭和31年からは福崎郵便局として昭和35年まで利用されました。
元は三木家住宅の西隣にありましたが、平成31年3月に現在の場所へ移築されました。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

馬車道から少し離れて、すぐ北側の辻川山公園内にある柳田國男の生家を見学しました。
昔話に出てくる古き良き日本の民家そのままの姿は、町屋商家とはまた違った素朴さがあり、実に良かった!
もとは街道沿い面してあった建物ですが、昭和49年に現在の場所へ移築したそうです。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

辻川山公園は、ため池の中から河童が現れることで人気のスポットです。
この日も、沢山の人がスマホ片手に河童の出現を待っていました。
皮肉にも、近くにあっても誰もいない柳田國男の生家とは対照的…
歴史的文化財より、グルメや奇妙なモノの方が一般人の気を引きやすいというのが現実かもしれません。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

1.5車線の微妙にカーブした道のある風景に心躍ります。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

辻川界隈を抜けた馬車道は、進行方向を東から再び南へ戻し、現代の高速道路の高架下を通過します。やがて、左手にため池、右手に田園風景が広がるところまでやってきました。
ここ西光寺野は、市川の流れによって浸食形成された河岸段丘。
市川流域にある家々の屋根が、足元の田園風景より一段下がった向こうに見えることから、馬車道が上部の段丘面に築造されたことが分かります。
パンフレットによれば、写真下にある小路が、かつての馬車道だったようです。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

馬車道は、海側の発着点であった飾磨津物揚場を目指しながら姫路市の船津へ入りました。
市川流域にある船津という地名は、市川水運の津(港)という場所からの由来なんだそうです。
町の境界線を越え、やがて前方に見えてくる趣のある木造の建物は、神崎酒造さん。

兵庫 播磨 姫路サイクリング

上写真は、青丸の付近です。

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今から400年前、姫路藩の財政立直しの一環として、ここ西光寺野にて朝鮮人参が栽培されました。
写真の場所に役所が設けられ、薬用人として派遣された岡庭家によって人参栽培が続けられました。
ところが、銀の馬車道が開通する 5年前、百姓一揆によって建物が消失してしまったそうです。
その後の岡庭家は、馬車道の開通と時をほぼ同じく酒造業に転じ、写真の建物はその時に再建されたもの。
それから150年近く経った今も、馬車道と同じ時を歩んでいるのですね。

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先に紹介した神崎酒造さんから500メートルほど進むと、「船津瓦発祥の地・馬車道跡」と刻まれた石碑のある大沢公民館が左手に現れました。
こちらの地区では良質の粘土層に恵まれ、江戸後期から「船津瓦」の生産が盛んで、沿道には製瓦業の建物が見えました。
かつてこの場所は、今で言うところの「道の駅」、つまり、馬車道時代の人馬が休憩をとる「立場(たてば)」だったそうです。
石碑の後方上にある大沢公民館は、地域の歴史を学べる「銀の馬車道ギャラリー」としてリニューアルされ、
馬車道時代の休憩跡地がサイクリストの休憩所として生まれ変わりました。

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河岸段丘の段丘面は地下水位が低いため、耕作地には適さなかったという西光寺野。
大正時代に入って、西光寺野疎水路、ため池が整備され、同地区に農業用水をもたらしました。
疎水路に流れる農業用水の源は、なんと加西三坂のひとつ「釜坂峠」を西に下ったところの下瀬加(にゅうにゅう工房さん付近)を流れる岡部川。
そこから山をくり抜いて、ここ西光寺野まで疎水路が延びているというのだから驚き。
それらの水利事業は、明治初めの原野に一本の馬車道が築造されたことがきっかけになったそうです。

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