2022–03–30

銀の馬車道

外堀に沿って南下してきた馬車道は、国道 2号と交差して少し進んだところでJR播但線の高架と並行して、徐々に南西へと進路を向けます。
ここから馬車道は、JR姫路駅を斜めに貫くようなラインをとって飾磨街道へと続いていました。

銀の馬車道

銀の馬車道ネットワーク協議会のパンフレットには、上のように点線で馬車道が示されています。
姫路駅周辺は土地区画整備事業に伴って大きく様変わりしており、現在は馬車道の痕跡を辿ることが出来なくなっています。

銀の馬車道

上の空中写真は、国土地理院HP 地図空中写真閲覧サービスより一部改変したもので、1947年10月に米軍によって撮影されたものです。
JR姫路駅の周辺を見ると、パンフレットに点線で示されている馬車道と同じラインを辿ることができます。

銀の馬車道

この度のサイクリングでは、赤いラインの通りに走りました。

銀の馬車道

1947年の空中写真に私の走行ラインを重ねてみました。
数年前まで外堀川は、神屋町の巽橋交差点からJR姫路駅に向かって斜め方向に流れていました。
上の写真(青丸の部分)では、その場所に外堀川が見当たらないので、戦後になってから外堀川は馬車道に沿ったルートに付け替えられたと思われます。

1960年代の空中写真を見ると、その部分の外堀川両岸に道があり、左岸(南側)が馬車道だったようです。
私が走ったルートは、その対岸の右岸道路を途切れながらも部分的に走ったことが上の画像から分かりました。

同窓生で友人の著書に、かつての馬車道は姫路駅構内のみどりの窓口付近を通っており、そのラインを示すことに意義があるのではないか…と彼は提言していました。
私もまったく同感です。

銀の馬車道

JR姫路駅を斜めに貫くようなラインで走っていた馬車道は、現在の姫路駅の南西部分にその痕跡を辿ることができます。写真左側の道が、わずかに残っている姫路駅周辺の馬車道。

銀の馬車道

馬車道は姫路駅から離れた後、古くから港と城下町を結んでいた飾磨街道に合流しました。
市街地南部で育った私にとって、自転車で姫路駅周辺へ出かけるのによく通った道路です。

銀の馬車道

姫路駅から約400メートル南下したところにある自転車屋。
はい、私の店です。

銀の馬車道

姫路バイパスの高架下を通って少し進むと、街道の西側に亀山本徳寺があります。
数多くの文化財がある立派なお寺です。
私が通っていたそろばん塾は、こちらの境内の北東隅に教室(それ以前は保育園)がありました。
地元では、「ごぼう(御坊)さん」と呼びます。
かつて境内では、盆踊りやバザー、カラオケ大会などが催され、私にとっては思い出が詰まったお寺です。

銀の馬車道

飾磨地区に入ってきました。

銀の馬車道

山陽電車の踏切を過ぎると、かつて飾磨街道が最も賑やかだったエリアに入ります。
写真の本屋さんは、小学校の時に通って沢山の本を買ったお店です。

銀の馬車道

国道250号を横断して、いよいよ馬車道は終点に近づきます。

銀の馬車道

銀の馬車道の発着点、飾磨津物揚場だった場所に到着しました。
現在は、浅田化学工業の社有地に赤レンガ壁のモニュメントが設置されています。
その他には何もなく、49キロの旅を締めくくる場所としては物足らない感があります。

しかし、今から150年前に明治の日本ががむしゃらに近代化を推し進めた一環で築造された道筋を辿ることで、先人の努力と苦労があったからこそ、現在の豊かな暮らしが当たり前にある有難さを知ることが出来たサイクリングとなりました。

これでサイクリングレポートは終わりです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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