定 休 日 誌
大阪府庁の正面には、深く広大な外堀と大規模な石垣に囲まれた大阪城の縄張りが広がっていました。
左の二層隅櫓は、大手門を北から防御する千貫櫓(せんがんやぐら)。
江戸時代創建当時の姿を今にとどめている13棟のうちのひとつだそうです。
ちょうどこの頃、ポツポツと小雨が降ってきました。
バッグから折り畳み傘を広げ、大手門へ通じる大手口土橋へ脚を進めます。
大手門をくぐった枡形を防御するのは、鉄板張の大門を備える多聞櫓(1848年)。
石垣の巨石は、城の威容を誇示せんとばかりに、大手門から入った正面に配置されていました。
大手門をくぐって正面に位置する大手見付石は、表面積が約29畳敷で城内第4位の大きさ。
瀬戸内海に浮かぶ小豆島が採石地だったと推定されているそうです。
それにしても、こんな大きな石をどうやって運んだんだろう…
天守閣のある本丸へ通じる入口には、桜門が構えていました。
戊辰戦争で焼失しましたが、明治20年に徳川時代の様式のままに復元されたそうです。
桜門をくぐると正面に城内第1位の大きさを誇る巨石「蛸石」がありました。
本丸のドヤ顔的な存在ですね。
本丸に入ると、右手には旧陸軍第四師団司令部庁舎がありました。
現在の大阪城天守閣と同じ昭和 6年に建設されたものだそうです。
戦後は、警察の庁舎、博物館として、現在は土産物、飲食などの観光施設「ミライザ大阪城」として利用されています。
本丸の奥には、エレベーターで上がれる鉄筋コンクリート造のお城と揶揄される天守閣がそびえていました。
昭和 6年に再建された天守閣は、鉄筋コンクリート造といえども90年以上もの年月を経ているわけで、現在の高層建築の多くがそれより早い時期に取り壊されている事を考えると、どうやって保守管理しているのかと感心してしまいます。