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熱心なキリシタン信者だったというガラシャ夫人の終焉の地近くには、カトリック教会がありました。
真田丸出城跡の近くまでやってきました。
真田丸は、1614年の大坂冬の陣に際して、豊臣方の真田信繁が大阪城の弱点である南方を防御するために築いた出城です。
真田丸は、空堀の南側に築かれた曲輪だったそうです。
写真は北側を向いて撮影。
道路の起伏を見ると、ここが空堀だったと分かります。
町名も空堀町だから間違いないようです。
坂が始まる向こうが真田丸の曲輪があった場所。
坂を上った所に真田丸顕彰碑がありました。
この西側にある学校敷地グランド辺りに真田丸があったと推測されています。
東へ少し移動して三光神社へ。
境内に立つ真田幸村の像。その隣には、大阪城へ通じていた地下道「真田の抜穴跡」がありました。