2012–06–04

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大牟田の街の延長にあるように、気が付けば県境を越えて熊本県荒尾市に入っていました。
そこからは、海岸線に沿ったルートを走ります。
荒尾駅を過ぎてJRの踏切を渡った後、暗闇の市役所前で停車し、バッテリーが残り少なくなった携帯電話を取り出して、ツイッターに最後の現在地を報告しました。

荒尾の街を過ぎてから、国道を走る車、沿道の灯りの数が少なくなり、夜空の下、自転車に取り付けたヘッドライトの明かりだけを頼りに前進します。
時折、辺りを照らしているコンビニの照明を見るたびに、夜間走行に集中していた気持ちが和らいで、ホッと落ち着くことができました。

平坦だったルートは、月夜に輝く有明の海原が右手に寄ったところで、連続するカーブと、小刻みに続くアップダウンが現れ、それが最後の試練となりました。

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何と美しいことか。
果てしなく長かった旅を今正に終えようとしている私には、荘厳ともいえる光景に見えました。

熊本の市街地は、もう直ぐそこです。

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市街地に入って、
いよいよ最終目的地のJR熊本駅へ…

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人がまばらな静まりかえった真新しい駅舎。
そこに大きく掲げられた「熊本駅」の文字を見つけ、私はゆっくりと自転車を止めました。

これで私の挑戦は終わりました。
長時間ペダルを回し続けた身体は、膝とアキレス腱に痛みはありましたが、それが苦痛に感じるほどではありませんでした。

夜更けの街、熊本の駅前は、数年前に家族旅行で訪れた時の面影はなく、ビジネスホテルが立ち並ぶ都会の様相に姿を変えていました。
側にあったコンビニで買い物をして、「さて、これからどうしようか」と考えているちょうどその時、背後から声をかけられました。
ハッとして振り向くと、博多に住む弟がそこに立っていました。

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「思ったより元気そうやな」

私を見てそう声をかけた弟に、まさか、この状況で、ここ熊本で会うとは全く予想もしておらず、ただただ驚くばかりでした。
実家で両親とともに弟と一緒に暮らしたのは、中学を卒業するまででした。
それからしばらくして同じ学校の寮にいた時期もありましたが、社会人になってからは、弟が帰省した時に会って話すぐらい。
弟の前では平静を装って元気そうに振る舞いましたが、600キロ以上走った身体は疲労しきっていました。
これまで自分の気持ちを奮い立たせることで、ここ熊本まで走ってきましたが、弟の姿を見たとたん全身の力が抜けてしまって、「あぁ、疲れた」と自分に正直になれたのです。

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「そこに車を停めているから、自転車を積んで、うちに来るか?」

そんな弟の言葉に胸が熱くなりました。
その後は、自宅で心配している妻とツイッターで応援して下さった方々に完走を報告し、急いでお土産を買って、記念の写真も撮って、あわただしく弟の車に乗り込みました。

「なんで、熊本駅の在来線の方におるのが分かったんや?」 弟が運転する車の助手席に沈み込むように座って、私はそう尋ねました。

聞けば、母から簡単なメールを受け、ツイッターで私の現在地をチェック。私の妻から、最終目的地が家族旅行の思い出のある在来線の駅かもしれないと聞いて、仕事を終えてから車で熊本へ直行。そうしたら同じタイミングで熊本駅に到着したということでした。
後で、「迎えに行ってくれ」と頼んだのか?と母に質問した答は「ノー」でした。

僅かな滞在時間であった熊本の街を窓越しに見ながら、やがて私は深い眠りに落ちました。

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弟が暮らす博多の街は、朝から気持ちの良い晴天でした。

一夜が明けて、昨夜までのウルトラロングライドはまるで夢のような出来事に思えました。
一昨日の朝、8時50分に姫路の自宅を出発し、昨夜11時47分に熊本駅に到着。それは、38時間57分、624キロの挑戦でした。

自転車に乗って、どこまで走れるのか?
自転車は素晴らしい乗り物で、人間の能力のみで最も効率よく移動できる道具でもあります。
そんな自転車の可能性を実証するためにも、この度のウルトラロングライドは価値があったのではないかと思います。

39時間かけて熊本まで走りましたが、もうすぐ43歳になる私は、特別優れた体力や脚力を持っているわけではありません。
それなのに無謀といわれる挑戦に挑んだ理由は、特別なトレーニングをしなくても、長く走るための知識と経験さえあれば、たとえ600キロでも走れることを証明したかったのです。
それからもうひとつ、体力や時間がないのは皆同じで、それに加えて、歳だからと自信まで失いたくはなかったので、40を越えた年齢という可能性にも挑戦してみました。

それでも、寝ないで600キロも走るのは無謀だと、出発前はいろいろな人に思われました。
お尻が痛くなる、眠くなる、などなど、無理だと思えばいくらでも理由はあります。しかし、諦めずに、問題になる項目を挙げて、その解決策を考えて、その結果、行けると判断して実行したので、私にとっては全くの無謀な挑戦ではなかったと思います。

この度の挑戦は、昨年の下関まで走ったときと同じように、夢のような時間を自転車に乗って過ごしました。もちろん、体は疲れて、あちこち痛みましたが、そんなことより「もっと遠くまで走りたい」という気持ちが勝り、最後までその気持ちが切れなかったのです。

では、次はどこまで遠く?
実は、この度が最後のウルトラロングライドとしたいのです。さらに遠くまで走りたい気持ちはあるのですが…。
私には夢があります。
次回はもっと時間をかけて、美味いものを食って、街をじっくり散策して、できれば妻と一緒にのんびりと、この日本をしっかりと見て、巡って、走りたいのです。
そんな事を夢見ながら、大変長くなりましたが姫路から熊本まで走ったお話をこれにて終わりたいと思います。
ありがとうございました。

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