2022–03–30

銀の馬車道

姫路の市街地へ向けて、馬車道は田園風景の中をまっすぐに進んでいきます。

銀の馬車道

馬車道は、豊富小中学校の横を通過して、金竹交差点を過ぎたころから交通量が多くなってきました。
やがて、播但連絡道路の高架下を通過した先で右手に市川の流れが見えてきます。
その先に架かっているのは、馬車道の開通から 3代目となる生野橋。

銀の馬車道

明治 9年に完成した銀の馬車道の築造において、大小合わせて20を越える橋が架けられ、この市川にも全長167メートルの橋が架けられました。馬車道の竣工に際して「生野橋」と改名されたそうです。

銀の馬車道

生野橋を渡ってから馬車道は左へ直角に曲がります。
すぐ前方に休憩エリアが設けられており、馬車道修築と刻まれた石碑を見ることができます。
発着地の生野鉱山本部や飾磨津物揚場に石碑が立てられなかったのは、生野橋の架設が最も難工事だったからと言われています。

銀の馬車道

国道との交差点を過ぎると風景は一変。
馬車道は姫路の市街地の中心部へ進んでいきます。

銀の馬車道

少し高い場所に国道と並行するこちらの道は、市川の旧堤防です。
かつての馬車道は、城下町へ向けてこの堤防上に延びていたようです。

銀の馬車道

先に紹介した400年前の人参栽培と同じく、蝋を取りロウソクを専売するために、姫路藩は財政立直しの一環として市川の土手にハゼの木を植えたそうです。
写真左のハゼは、その名残の木です。

銀の馬車道

ハゼの木は、青丸の付近です。
現在の市川の堤防とは、ずいぶん位置が違いますね。

銀の馬車道

スタートした生野から、時には離れ、時には合流し、ずっと絡みあるように南下してきた国道312号とは、ここでお別れ。
馬車道は、横断歩道の先を右折して、いよいよ姫路城下へと入ります。

銀の馬車道

かつての姫路城外堀に沿って、馬車道は南下していきます。
築造当時、城下町では馬車道のための用地を取得することが難しく、外堀の東側を埋めて、そこを馬車道としたそうです。

銀の馬車道

外堀に整備された公園。
姫路に長く暮らしている私ですが、写真のような場所があるとは知りませんでした。

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